私の2022年9月は自分の喪失感のために日々を送ることとなりました。
喪失感とは…何かを失ったときに感じる気持ちで人との離別・死別といった出来事や大切な物を失ったときに感じことです。
団地管理組合長の死
組合員として6か月間の雑用当番の役割が最後の集合日が9月17日でした。
いつもいる組合長がいません。嫌な予感…
組合長はこの夏とても暑いさなかの昼間「芝刈り」をしていました。
いつもの役員集合日にいる組合長とボランティアとしてヘルプしている方2人はいなく
副組合長と有志1人がいました。副会長は私の部屋の下の階の方で顔見知りで会えば挨拶をする程度の方です。
雑用当番の中で積極的にお手伝いをされた女性が何か勿体ぶった様子で私たち当番員を待っていました。会議室に到着して違和感があるため一人が代表で組合長のことを聞きました。
その女性が全員集合したら言うから待っててと制しました。
実は団地には問題を抱えている事柄や流行り病もあり完全全員集合とはいかなくなっていました。
しばらくして、副組合長から組合長が亡くなったことを知らされました。
話によると2日前の朝亡くなっていたのを家族により発見されたそうです。
私はこの団地に住むようになって5年経ちましたが、人との関わりが面倒なうえ新参者であるため知り合いはいません。
あえて言うならば、同じ棟の5階の1人暮らしの70才代の女性Aさんと組合長でした。このお二人は引越し当日水回りのトラブルがありお世話になり浅く付き合っていました。
5階の1人暮らしの70才代の女性Aさん
Aさんは見た目からして複数の持病をかかえているのはわかりました。
階段の上り下りを見ていて私ははじめから心配していました。
息子さんと最初は同居していたそうですが転勤をされ、娘さんは車で1時間ほどのところに結婚をして住んでいるそうです。
たまにおはぎを作って私に届けてくれたり、お友達からもらったお花や野菜を届けてくださいました。
私はお赤飯を炊いたので電話をすると病院にいると聞かされ、病院は近くなのでコンビニで水とドリンクを購入して駆けつけました。
Aさんは団地の公園で転び救急車で運ばれ、腰を骨折したのでしばらく入院すると本人の口から聞きました。
地元ではとても評判のいい病院と完治した知り合いから聞いていましたが、多分…ご自分の部屋には戻れないだろうと思いました。
2週間後再度お見舞いに行ったときにAさんは明日リハビリのため行きつけの病院に転院すると言いました。
転院先の病院はいいイメージがなく不安になり、この病院で完治するまで居たほうがいいのでは?と言ったのですが、早く治したいし患者が少ないのでリハビリの時間がたくさんとれるから行くと言いきっていました。
娘さんに帰りにお会いし、何かお手伝いできることがあればご連絡くださいと申し上げました。
Aさんは体が少々ご不自由ではありましたがおひとりの生活を楽しんでいる様子でした。
それ以来私にできることはないし、自分のことで精一杯の私は元の生活に戻ることとなりました。
結局、その後娘さんの地元の介護施設にいると半年後に組合長から聞きました。
年齢70才代後半の組合長の死
組合長は年齢70才代後半の男性でボランティアを含め様々な仕事の責任者をしていました。
肩書が大好きなうえ最高責任者になることが大好物で、肩書を増やすことが趣味のような人でした。
何か自分の人生でやり残しがある人なのだろうと私は感じていました。その結果、周りの人たちを振り回し迷惑がられていたと思います。団地内の方々の評価は二分しているようでした。
人のために働くのではなく、自分のために生きてもいいお年ではないかと。
そして…人の言うことは絶対聞かない人でした。
私にとって、組合長は迷惑おじさんでした
夜、突然チャイムを鳴らし、自分でつくった野菜・果物を届けてくれます。
また、パソコンの文書作成の仕事も依頼しに来ます。(1P:1,000円)
ポストに入れてくだされば翌日にはやっておきますと言っても必ずチャイムを鳴らして来ます。
私の生活スタイルを把握しているようで、来るのは夜8時以降から11時ごろでした。
私はそのことが気になりその時間帯はお風呂にも入ることも着替えることもできませんでした。
1ヵ月以上来ない時は、もう!解放されたかと思っていると復活します。
スーパーで安かったからと果物を買って1ヵ月に1回は来ます。
私が一人暮らしだから安否確認のために来ているようでした。
私にとっては準ストーカーみたいな方でした。
最後に会ったのは亡くなる前の週…私の誕生日の2日前に桃を持ってきてくれました。
ここ数ヶ月痩せちゃったなあと思っていましたし、その日はお顔が黄色く元気がなかったと記憶しています。
正直!私も迷惑おじさんにそんな日が来るとは思ってもいませんでした。
私は団地にとっては必要な人だったと思っていましたが、組合長は団地に貢献している割には人気がない人でした。
元組合長や元役員をしていた人たちは管理組合費・修繕費の使い込みをしていたそうです。
そのマイナスになった分を取り返すために現組合長と団地内のボランティアの方とで経費削減のため、業者に依頼せず年4回芝刈りをしていました。
亡くなったときは芝刈りの半分が残され、団地から出て行った友人やボランティアの方々数名で終了させてくださいました。
新参者の私には見えないことや知らないことがあり、住人たちそれぞれが言いたくないことが山ほどあり古い団地が存在しているのでしょう。
私の苦手な分野です。もう、片寄った情報さえも与えてくれる人は誰もいません。
私は40才代では悩みを話せば自分の状況を理解してくれ聞いてくれる友人二人を亡くし、50才代では両親を失いました。
これまで、自分のストレスを最小限にするために知人を増やさないように生きてきたように思います。
大勢の中にいても孤独を感じ、ひとりでいることが気楽なことをずいぶん前に知ってしまったからでしょう。
ただの通りすがりの人や関わりたくない人の存在さえも失う寂しさを感じるのは季節のせいでしょうか?それとも私の年齢のせいでしょうか?
9月27日 安倍元総理大臣の「国葬」
あれは7月の8日でした。
日本の未来を担う若者を支える安倍晋三元首相が銃弾に倒れた日。
元内閣総理大臣・安倍晋三の国葬が2022年(令和4年)9月27日に日本武道館で執り行われました。
国葬についての賛否両論があることはテレビを見ない私でも知っています。
国葬はライブ中継をYouTubeで見ていました。
一般献花には長い行列の中に若者が多かったことには感動しました。
安倍元総理大臣の「国葬」は死を悼むだけではなく弔問外交チャンスでもあります。
日本の将来のために安倍元総理大臣の最後のお仕事でもありました。
戦争を知らない爺さん婆さんがテレビを見て反対運動することやマスコミの「アベがー…」の偏向報道ばかりの日本…これからこの国はどうなってしまうのかが心配です。
何か…落ち込む…
まとめ
喪失感とは年齢や環境などで変わるもののようです。
人はそうして少しずつ持っているものを削り落とし、自分の最後の日を迎えるものなのでしょうか。
亡くなった迷惑おじさんは前日まで芝刈りをしていたそうです。
不正を働いた人たちを正すために意地を張っていると私には言っていました。
その姿を見て、どれだけの団地住人の心を動かせたのでしょうか…
迷惑おじさんは亡くなる前にお別れに来てくれ私の人生について考えるチャンスを与えてくれたように思います。
私は玄関にお花と線香をたむけました。