シニア生活と私のヘバーデン結節

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シニア生活と私のヘバーデン結節 シニアの生活

私…ヘバーデン結節になっちゃいました!
若いころ生活するうえで何とも思っていなかった事柄が、シニアとなった自分の体に負担となることを知ることとなりました。
悲しいことです。
ただ一生懸命に、真面目に、仕事と向き合って生きてきただけの私なのに。

パーデン結節により私のシニア生活は変わりました

思い起こせば…4年ほど前
ヘバーデン結節の始まりは、派遣先の工場で週3日7時間労働からだったと思います。
その派遣先では、初心者は段ボール箱づくりから仕事を覚えます。
この作業はかなり手に負担がかかりました。
2ヵ月目に入ったころには、手の節々にヒリヒリ感があり、麻痺しているようでした。
朝起きると手の指の節々に「こわばり」を感じうまく動かなくなっていました。

指先の「しびれ」さえなければ…ずっとその派遣先で働きたかった

その工場は大手企業だったため、直接雇用のパートさんと派遣社員の差別はほとんどなく福利厚生が充実している職場でした。
それまでの派遣先で、全てがまともな会社でした。
ごたぶんに漏れず、どの企業でもいる「お局さん」はいましたが比率が少なかったですし、ほとんどの人たちは良識のある対応ができる人ばかりでした。
正社員とパートさん派遣社員の割合は1:4:5でありながら規律がとれた派遣先でした。
居心地のみのことを考えるならばこれ以上の派遣先はないと思っていました。
固定及びスポット勤務の派遣会社が5~6社入っている派遣先でしたので、派遣さん同士が助け合う環境ではありませんでした。
それでも珍しく社員やパートさんと派遣社員の関係性は良好でした。
大手企業なだけに風評被害が取り扱い商品を汚すということを認識している社風のようでした。
社員・パート・派遣先の人間関係にうんざりしていた私は派遣先はここで最後にしたいと思っていました。

突然の「派遣切り」により毎日の手の指のしびれから解放された私

新人としてこの派遣先に一緒に所属したのは私と40才代の女性2人でした。
私たちが見習い期間の時期に工場のパートさんが増えてきて新人が私たちばかりではなくなりさらに居心地が良くなりました。
1ヶ月経過したころ私たちは突然!「派遣切り」となりました。
作業している人たちの「よそよそしい」違和感は「派遣切り」対象者にならない、対象者と関わらないということだったのだと気が付きました。
派遣会社の営業担当者が来て一方的に『ここでの仕事は今日で終了となります』の報告を受けました。
理由は『仕事が遅い』と言われました。
残念でもあり手の指の関節のしびれも限界でしたのでこれで良し。ということでしょうか。
その日作業が終わり「派遣切り」を言い渡された私たちは最初で最後の仕事帰りの喫茶店に行く日となりました。
彼女は過去に腱鞘炎になったことがあり今の仕事に不安があったと言っていました。
私たち二人ともお互いに本音で話し合いことにより手のしびれと痛みについて同様でもう限界であったと納得しました。
指の負担にもかかわらず一生懸命仕事を頑張っていたのに…
本当に失礼だと結論に達しました。
直接雇用のパートさんが増えたので新人の派遣はいらなくなったと正直に言って欲しかったと思いました。
大手企業の計算高さとずる賢さに驚かされながらも納得しました。

ヘバーデン結節が決定的になった原因

「派遣切り」にあった後の私は指の関節の「こわばり」症状がひどいときには仕事を休めるように過去にお世話になったスポットが得意な派遣会社の仕事に戻ることにしました。だた生活が不安定となりました。
たまたま運よく近所の週2回5時間軽作業のパートの仕事が探すことができました。
手の指の「こわばり」と痛みの症状を耐えながら生活のためにパートと派遣の軽作業の仕事をしていました。
派遣先からはご指名でのホームセンターの巡回掃除を週2日の仕事を貰えるようになりました。
誰にも気を使うことなく仕事のみ集中できていたので私はけっこう気に入っていました。巡回掃除の仕事は移動が多くその先々で清潔を保つために挟み込みのモップの付け替えを1日20回以上しなくてはいけない作業でした。
4~5ヶ月ほど経過したころです。思いがけないことが起きてしまいました。
右の人差し指にすごい激痛が走り、夜が痛みのためになかなか眠りにつけなくなりました。
しかもその痛みの症状は途切れることがありませんでした。

自分のヘバーデン結節の症状を振り返ると…

激痛の症状のために、仕事の時間以外の私はもう何もする気も何も考えることもできなくなりました。
それでも生きるためには仕事をしなくてはいけません。
自分を見失うようになってしまうくらいに…本当に、本当に辛かったです。

私のシニア生活はヘバーデン結節と共に

とうとう、私は痛みに耐えることができなくなり病院の整形外科に行きました。
知人のリウマチになった人たちの中で私のような症状が出ることがあると聞いたことがあったので内心ビクビク…
リウマチは血液検査で分かることは知識としてありましたが、先生は最初にレントゲンを撮りましょうと言いました。
先生は私とレントゲンを一緒に見ながら『関節の軟骨がすり減っていくことで起こる変形性関節症』だと説明をされました。
続いて意外な言葉を聞きました。
『世の中は不平等でこうなる人とそうでない人がいるのです』と。
私は『原因は加齢による劣化ということですか?』と聞くと、そうだと答えられました。先生は症状を和らげるには休むしかないと。

私はそれでも仕事をしなくてはいけないと言うと。
テーピングの方法を教えてくれました。それ以外は何も。
痛み止めの薬や塗り薬の処方箋すらなし。
つまり打つ手がないということ?納得するしかない?
そうです!時間が解決してくれるのみです。

それでもヘバーデン結節で苦痛を味わっているのは私だけではない!
派遣先でお世話になっている女性パートさんに当時の自分の状況を説明して、とっても残念ですけれどしばらくこの仕事を休もうと思うと報告しました。

7歳年下の(苦労人であり、幸福な人になった)人生の先輩の話

へバーデン結節というんだよ。私もほら!

  • 指の第一関節がコブみたいになること
  • いまだに時々痛いこと
  • 両手親指のみが無事に残っていること
  • 自分の指を見せて教えてくれました。小さい子供のような可愛い指を触れさせてくれながら、説明してくれました。
  • どうやら…治らないらしいということだけは理解できました。
  • 私だけではない不平等なシニア生活が私にも待っていたということです。

ヘバーデン結節により私の人生は変わりました

あれから2年。
彼女が言っていた第一関節のコブは私の両手の指にもあります。
充分ではありませんが年金収入が入るようになり精神的にも肉体的にも負担になっていた派遣の仕事はとりあえず辞めました。
あの痛みはご勘弁!今の私はとりあえず…「良し」としました。
指は十分な役目を果たしておらず現在は週2日5時間の近所のパートのみの仕事がやっとです。極貧です。
仕事以外で緊張がほぐれているときは自宅では持っているものをよく落とします。
ただ、最悪だったころの痛みからは解放されました。
「良し! 良し! 」 です。
そのあと第二関節も痛くなったため健康診断の折にリウマチの検査をしました。
とりあえずセーフでした。

まとめ

さらに、ヘバーデン結節が悪化したら、明日考えよう!
これまでの私の人生での仕事は肉体労働というよりは手を使い「考える」ことが生業としていました
シニアになってしまうと求人の仕事内容も限定されほとんどが軽作業になります。
自分本来の仕事とは思えませんがシニアの私にはチャンスがありません。
派遣で知り合った知人はリウマチの高額治療費のために働いています。
そして、ご主人や息子さんのために毎日台所に立っているそうです。
私はおひとりさまだからヘバーデン結節の痛みの症状がひどい場合は食事の支度をしません。

1日1食分を週5日お弁当の宅配を利用しています。

掃除もしません。おひとりさまだから毎日掃除をしなくてもいいかな。
これ!買っちゃいました。
モップスリッパは歩きながらホコリを吸着してくれます。さらにスリッパの裏にワックスをスプレーの怠けっぷりです!

パートの仕事も休みます。事前であれば、有休も使えます。
極貧シニア生活覚悟で勇気をもって「仕事しません!」をしています。

いつまでも肉体労働はできませんし、ケガや病気で外に出られない体になってしまうかもしれません。
自宅で年金暮らしの不足分の収入を得る方法を探しています。
とりあえず、今は無理せず働こう!
痛みと共に生きているのは私だけではないから。
「へバーデン結節」については、こちらのサイトをご参考にしてください。

公益社団法人日本整形外科学会サイト

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