ジャニーズ問題について

※本サイトはアフィリエイト広告を利用しています

ジャニーズ問題 気になる時事ネタ

ジャニーズ・ジュリー元社長は会見で「所属タレントはそういうことがあってスターになっているわけではない」と発言したようですが…
私は逆で「そういうことがあってのスター」と認識していました。

テレビや舞台で活躍している所属タレント全員は何かしらのカタチで「喜び組」となり、チャンスを手にし、芸能人として活躍していると思っていました。

それでもスターになれなかった少年たちも大勢いたことには驚いています。

そもそも私はジャニーズには全く興味がありませんでした。ちっちゃい男の子たちが上手なのか?下手なのか分からない演技、歌やダンスでテレビに出るとチャンネルを変えていました。

今ではテレビがないので突然頼みもしないのに彼らが現れることもなくなりました。

ジャニー喜多川の犯罪について

ジャニー喜多川の犯罪について私はかなり前から知っていました。

美容室に行くと新しい写真週刊誌『フォーカス』(新潮社)、『フライデー』(講談社)や週刊雑誌が一通り置いてあった時代のことです。
その中で田原俊彦の全裸写真が流出!「あー!やっぱし本当だったんだ」と再認識しました。

最近YouTubeで見たのですが、国民栄誉賞も受賞した作曲家の服部良一さんの次男が8歳のころに当時20歳前後のジャニー喜多川から被害をうけたと本人が発言していました。
恐れを知らない犯罪者です。

フォーリーブスの北公次

私が中学生のころ1967年にフォーリーブス(北公次・青山孝史・江木俊夫・おりも政夫)はデビューをしました。

小学生のときの同級生が北公次の大ファンで追っかけをしていて、深夜にならないと帰ってこないと母親がぼやいていると団地でウワサになっていると母から聞きました。
存在感のない幽霊のような彼女が?そんな大胆なことを?

同級生からは追っかけをしているときの雨の日…北公次から傘を差しかけられたところを見ていた別の追っかけたちに捕まりボコボコにされたと聞かされました。

私の知っているアノ子をそうさせた北公次という名が記憶に残りました。

それから数年後…北公次の奇行

北公次の奇行が話題になるようになりました。
特にファンでもない世間知らずの私でさえも知ることになったので、当時芸能ニュースが好きな人は記憶にあると思います。

芸能週刊誌の白黒写真を見ました。
北公次が白い衣装に、お坊さんが身につけるような首から掛ける数珠をかけ、他の3人のメンバーが踊っているのに舞台のソデで座って拝んでいるものでした。

フォーリーブスの解散

1978年フォーリーブス解散。

もう、北公次はステージにあがれる状態ではなくなってしまったのでしょう。
北公次はジャニーズ事務所を退所し、翌年1979年に白いお薬で逮捕されました。

北公次復帰するも

北公次は1979年に逮捕されましたが、当時の芸能界は甘く復帰も難しくなかったようでした。

北公次のファンであった金子正次のオファーを受け『竜二』(1983年川島透監督)という映画作品により、再びチャンスを手に入れることとなりました。

『竜二』主演の俳優である金子正次が、映画公開期間中の11月6日に胃癌性腹膜炎で松田優作らに看取られながら33歳で死去したことで、さらに印象に残った作品でした。

その後の北公次は俳優としてはうまくいかず生活に困るほどだったようで、ジャニー喜多川に自分の人生は狂わされたという暴露本『光GENJIへ』を出すことになります。

ジャニー喜多川の犯罪

「暴露本」を購入しなくても内容は芸能週刊誌をくまなく見れば、ジャニー喜多川がどんな犯罪を犯していたかは当時の人は全て知っていました。

結局一時の話題だけで終わりましたが、ここでジャニー喜多川の悪行の芽を摘んでおけば、その後の犠牲者は出なくて済んだかもしれません。

北公次の遺言

ファンの皆様 お世話になった皆様へ
 本当に本当にありがとうございました。
 北公次としての人生を全う出来た僕は本当に幸せでした。
 大好きなステージを沢山させていただきました。
 きっと
 僕からのこのメッセージを読んでいただける頃は
 もう僕は居ませんがみんな悲しまないでね。
 僕は空からみんなを見守るよ!
 ありがとうを言うのもこれで最後です
 今まで応援ありがとうございました。
 そして最後にどうしても言わせていただけるなら
 ジャニーさん
 メリーさん
 ありがとうございました
 感謝しています。

 2012年2月21日

 北公次

北公次のウィキペディアより

まとめ

北公次について私が思うこと。

北公次はジャニーズ事務所を退所してから自分の実力がどのくらいのモノで、どれだけチャンスに恵まれたのかも実感したのではないでしょうか。

「起死回生」を何度も味わうことができたのはジャニーズ事務所があったからできたとだったと気が付いたからなのではないでしょうか。

ジャニーズ事務所の「喜び組」である秘密が、所属タレントのミステリアスな魅力となり、ジャニーズ事務所のタレントの人気は不動のものとなり、経営陣は芸能界やマスコミに対して信じられないほど大きな圧力をかけられるほどの「チカラ」をもっていったのでしょう。

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました