私が初めて茶白の猫と出会ったのは…5~6年前。
この先自分はどのように1人で生きて行ったらいいのか不安でありながらも両親の墓守をするためにこの街に来て間もなくのことでした。
駅に向かう坂道を登っていると路地の入り口にポツンと座っている茶白の成猫を見かけました。
よく見ると全身傷だらけでした。長年の猫好きとしては生まれながらの野良猫稼業か、捨て猫の判断はある程度わかります。
目つき・体型・声をかけても逃げない・喧嘩なれしているかが判断のポイントです。
茶白猫は捨てられたばかりの子だと思っています。
次に茶白猫に出会ったのは
坂道を登る両脇には古い民家が立ち並んでいますが、その中の大きな家の玄関に飼い主を待っているようにちょこんと座っていました。
茶白猫はその家の住人と思っていましたが、ある日その家が空家であることに気が付きました。
気が付けば茶白猫はおひとりさまの同志
駅に向かう坂道を利用するときは常に登りながら目で探してしまいます。
4年ほど前のある日、茶白猫がいる大きな家の2階の窓が開いていました。
あれ?飼い主いるんだと思いましたがその後まもなくまだまだ使える家が壊され駐車場になっていました。
おひとりさま同志である茶白猫は何処に
次に茶白猫を見たのは坂道を下った(黒い)木造の黒い犬を飼っている家の近くに居ました。
私の住んでいる団地の餌やりおばさんがその子の世話をしているのを初めて気が付きました。
私は茶白猫に餌を与えたことはありませんでした。
なぜならば、茶白猫は餌を食べている様子があることと、いつ会えるか分からない子に餌を期待させるのは残酷ですし、私自身の負担になるので通りすがりのおばさんになっていました。
団地の餌やりおばさんとは
私と同年代の女性で趣味のいいお洒落な服をいつも着ていましたが足が少々不自由な方です。
症状によって杖を使い分けて歩いていました。
魔法使いのおばあさんが使うような長い杖にしがみ付くように坂を上っていたのを見かけたときは、この方は見るたびに症状が悪化していると思いました。
信号の緑が比較的長い10mほどの横断歩道が時間内に渡れそうもない程となっていました。
私は流行り病もありますが仕事以外はほとんど外出しませんが…
餌やりおばさんは毎日茶白猫の餌やりのために外出しているようでした。
茶白猫は(黒い)木造の家の外猫になりました
大きな空家が壊された後、次に茶白猫が選んだのは(黒い)木造の小さな家でした。
餌やりおばさんはその家の独身の40歳代の男性に交渉(お願い)したようで、いつも解放状態の庭に茶白猫は居て毎日定時間に餌やりに行っているようでした。
茶白猫は(黒い)木造の家の黒い犬と仲良く庭で暮らし、その黒い犬は室内で飼っているようで茶白猫は気が付けば冬は犬小屋の中で夏は庭で過ごしていました。
一時期雨漏りがするらしく(黒い)木造の小さな家は修繕をされましたが…
茶白猫がやってきた数年後の昨年(黒い)木造の家は取り壊され空き地となりました。
次に茶白猫は団地近くの道路を挟んだ坂の下に現れました
新しい家並みとコインランドリーに落ち着かないようでしたが半年ほど餌やりおばさんが夕方餌を与えていました。
今年に茶白猫は坂の上の古い家並みに戻りました
最初に取り壊された空家の更に上った築50年ほどの家の庭先にいました。
餌やりおばさんはその家の柵の中に入り込み茶白猫の餌やりをしていました。その民家の狭いは庭には車を停めていて少なくとも家族で住んでいる様子がありました。
ここでも、餌やりおばさんは交渉し許可をいただいたのでしょう。
誠実に茶白猫に餌を与え続け5~6年以上になりますが、餌やりおばさんは迷惑な方だと思います。
今のお世話になっている家は庭も狭く茶白猫のトイレはどうしているのか?そして勝手に庭に入ってくるわけですから…
決して!茶白猫は自由気ままに生きているとは思えません。
餌やりおばさんは体に障害をあるならばなおさら、ペット禁止の部屋で茶白猫を家で飼うか地域猫として組織に相談してお願いするべきだと思います。二者択一まで来ていると思います。
自分が寂しいだけで茶白猫とお別れできず自分の都合で人に迷惑をかけながら猫に餌やりをていると自覚していないのではないでしょうか。
まとめ
2023年仕事に行くとき、しばらく見なかった茶白猫が信号渡ったところに居ました。
茶白猫は今現在どこが住み家なのか正確には分かりませんが、坂を上るのが辛くなった餌やりおばさんをお迎えに来ています。信号を渡ったベンチのところで待ち合わせ…
餌やりおばさんは可哀想なほど歩けなくなりました。茶白猫はこの極寒で暮らしながら餌やりおばさんを励ますためだけに生きているようでした。